満月。邪悪なるものの気が満ちるとき。

職場の歓送迎会だった。両国 『漁火』。
今夜の主役にあたる、職場を離れるツッチーや、新たに加わったOさんは、
二人とも清廉潔白純情無垢な女性である。

とにかく、オレさまの座った位置が悪かったのだ。
せっかくの歓送迎会だというのに、オレさまは邪悪なメンバーに席を囲まれてしまい、
邪悪なお酒に酔わされてしまった。それとも満月がいけなかったのか。

芋焼酎をロックでやりながら、この人も邪悪だ、彼も邪悪だ、と用心深く様子を伺いながら、
ブツブツつぶやいてばかりいた。純真なオレさまの目で見て、あえて ”邪悪” 番付を
つけてみると、概ねこうなる。

 横綱 …… K健一さん
 大関 …… K見さん
 関脇 …… M村君
 小結 …… O田女史
 角番 …… Y本武君

横綱K健一さんは、誰かの目の前に穴を掘り、さも落ちるのが当然という口調で
「さあどうぞ」 と笑いながら促すタイプ。いわば最強の邪悪だ。誰も逃れられない。
彼はミフィーちゃんとスヌーピーと、どちらが邪悪かということについて軽く30分は語れ
るほど邪悪な思考回路を持っている男だ。オレさまにはどちらも小動物にしか見えない。

大関K見さんは、波の高い日の大波が寄せた後の、スーッと引いていく波だ。
大波をうまくやり過ごした、と安心したところへ、背後からザーッと押して、
広大な邪悪の海に引き摺り込もうとする。一番危険な邪悪だ。
しかも「ロックで」 とお願いしているのに、ときどき水割りを作ってくれてしまうし。
一見邪悪そうに見えないその温和な外見と物腰が、なおさら邪悪なのである。

関脇M村君は、今日はブルースリーを意識しているから邪悪だ。
言葉の端々に、拳を強く握り締めるような威圧感がある。すでに目が座っていて邪悪だ。
いったい誰が彼にお酒を飲ませたのか。

小結O田女史は、邪悪ゾーンの案内人だ。邪悪であることに安らぎさえ感じている。
邪悪の力を借りて、秘かに世界征服を企んでいるであろう節が窺える。

Y本武君の本性は、悪に染まりきれない正直者だ。しかし、優しいオレさまは、
彼が淋しくないように邪悪ファミリーの一人に数えてやっている。しかしカド番である
ことには変わりない。もっと邪悪に染まりきらねば、邪悪ファミリーからもイジメにあい
かねない。むしろ早くこちらの世界に引き戻してやるべきか。

邪悪な酒を飲まされていたら、O山田さんが鹿児島県出身だということが判明し、
いてもたってもいられなくなって、彼女に声をかけ、

「オイもかごんま」

と言ってしまった。オイモと言ったチ、さつまいもダガネ。(笑う)ドコネ。
イリキ、知っちょっと? へー。ワタシ種子島。ヘー。ロケットが飛びんさる?
そー、そー。

2時間くらい飲んでから、みんなで総武線に乗って帰途につく。
電車が動き始めると同時に、オレさまが勇気を奮って 「キミたちは邪悪だ」 と批判すると、
邪悪小結のO田女史がうつむいてポツリと言った。

「でも私は最も邪悪な人間を知っています」

オレさまは、咄嗟にM村君を弁護した。
彼が最も邪悪だって? 彼が邪悪なら君たちは何だ、暗黒星雲か、冥府か、大魔道か?
M村君を悪くいうものはオレさまが許さないぞ。

「もちろんM村さんは ”邪悪” なんかではありません」

周囲の冷めた視線が、静かにオレさまに集中する。