定時を過ぎて、退社しようとしたところでM村君と 「易」 の話で盛り上がる。
漢字検定の話が発端となって、M村君が ”泰” の字を書き出したので、
それは地天泰といって易では最も良い卦の一つだとオレさまがコメントしたら、
M村君は泰の字の隣に今度はそれに見合う陰陽六爻を書いてみせたのである。
基礎的なこととはいえ、なかなかやる。

彼もだいぶ以前から易に凝っているらしい。そういう意味ではオレさまの先輩に
あたる。占い方も学びかけたらしいのだが、そちらは中途で挫折しているそうだ。
その気持ちも善く分かる。なにしろ正式な筮法はとても面倒なのだ。
善く易を為むる者は占わず、などと負け惜しみを言いながら、

筮竹とか欲しいよなー」

などと冗談を言ってみる。オレさまは本心なのだが、本心であることを悟られる
には勇気が要るので、冗談めかして言ってみたわけである。もしかしたら、
M村君は筮竹を持っているかも知れない。ガンダム博士にして、ヒンズー教徒にして、
道元ファンにして、数学なんかも好きで、孔子は大嫌いという、以前から変なヤツだと
は思っていたが、本当にM村君は変なヤツである。
ちなみに 『易経』 は英語で 『Book Of Change』 と訳されるわけで、
あながち ”変なヤツ” という表現は間違っていないはずだ。

易の成立は紀元前に遡る。
それから数千年もの間、今日に至るまで連綿と受け継がれているのであるから、
易の宇宙観自体は直感的に正しいものではないかとオレさまは踏んでいる。
オレさまがそう言うと、M村君としても、科学文明で語れないものはあえて否定しない
という姿勢を大切にしているのだと応えてくれた。
果たしてそれは、M村君の嫌いな孔子がいうところの、

「鬼神を敬してこれを遠ざく、知というべし」

という態度ではあーりませんか。
老荘に賛辞を送りつつ、孔子を否定しながらもその良い所をぬすむ……
そうした偏らない姿勢がすでに易を実践していることの顕れか。

ところで、易の陰陽に象徴される対立関係は、たがいに排斥しあう関係ではなくて、
たがいに引き合う関係にあるのだそうだ。ここが誤解しやすいところではないかと思う。
男女であり、天地であり、善悪であり、正負であり、すべては対立しながら惹かれ合う
関係にあるとして、そうした関係を中国の言葉では 「対待(たいたい)」 と言うそう
である。相対して相待つということだ。西欧的な二言論とは根本的に異なる、大陸の
懐の深さを感じさせられる概念である。

すべての中国人は、そうした空気のなかに生まれ育っている。
近頃は学生達が日本を激しく排斥するような傾向も見られるが、彼らの心の奥底にも
「対待」 の直感が活きていて、大陸中国と島国日本とは対立し合いながらも、同時に
引かれ合っているはずだというような、漠然とした自信を抱いているのではないかと
思うようになった。だから今後も、未来永劫、中国側から争いをしかけてくるような
ことは絶対にないのではないかと思う(甘い発想かも知れないが)。むしろ問題は、
海洋国家として純血を保ってきた日本人の気質のほうにあるのではないか。

中国と日本は過去に何度も接触してきた。『魏志倭人伝』 にまで遡る必要はないが、
聖徳太子が大国隋の皇帝に対して 「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す」 と
ハッタリをかまして以来、”山椒は小粒でぴりりと辛い” を地でいくような背伸び外交
を何度もしてきたのである。明治の日清戦争や、昭和の日中戦争はいずれも日本側から
仕かけた喧嘩なわけで、ある意味、日本も大陸に引かれていることの証しなのかも知れ
ないが、いずれにしても、漢民族の発想の基本が 「対待」 にある以上、日中外交も
日本側の一人相撲で終わりかねない。あるいは小泉首相もその点をよく理解していて
(タカをくくっていて?)、靖国問題をやり過ごしているのかも知れない。