帰る夜道の道すがら、コンビニで買った東スポを小脇にかかえながら、
芭蕉がいうところの 「不易」 と 「流行」 について考える。

芭蕉俳諧という遊びを芸術にまで高めた本朝第一の俳人である。
彼の創作理論は 「不易」 と 「流行」 という二つの言葉に凝縮されている。
「不易」 とは常しえに変わらないもの、「流行」 とは俄かに生滅するものの
ことで、この永遠(=不易)と刹那(=流行)の交錯する瞬間をとらえることで、
名句が生まれると彼は考えた。うならせる創意だ。

古い水たまりと蛙の動き、不動の岩と蝉の声、お地蔵様と赤とんぼ、何でもいい。
観賞する者は、そうした交錯のなかに、自然世界と人生との関係を重ね合わせて
感情をつき動かされるわけである。

「不易流行其基一也」

『あかさうし』 にあるこの言葉自体は、蕉風一派のあり方を示唆したものかも
知れないが、同時に蕉風の俳諧の特徴をも意味している。不易と流行の二面性を
保つべき一派のあり方を不易なものとし、そこから生み出される不易と流行の交錯を
主題とした作品が刹那に生滅する流行的なものであるとすれば、入れ子のような構造を
成しながら、繰り返し繰り返し不易流行が主張されていると解釈できる。

おそらく、この発想自体は易の影響を受けたものなのだろうと思う。
易は一名にして三義を含み 変易・不易・易簡 という基本的な宇宙観がまず定義
される。花は咲き枯れる(変易)、しかし季節の廻る法則は変わらない(不易)、
そうしたことは簡単なことで認識し易く従い易いことだ(易簡)という認識から始まる。
要するに、易の思想を足場にして覗いてみれば、この世界の全てが、蕉風の句で
成り立って見えるということだ。なんというまばゆさか。

そうした不易と流行の交差点を、身近なところに見出だすことができれば、
あるいはこの世界への理解と愛情を永劫のものとすることができるかも知れない。
ニーチェのいう永遠回帰を明るく受け容れるための一助にもなるはずだ。

そう考えつつ、帰り道をキョロキョロしながら歩く。そうして気がつく。
不変なものと指させる具体的なモノが一向に見当たらない。信号機も、自動販売機も、
じきに今ある場所から消えて無くなってしまうだろう。コンクリートは100年も経れば
崩れるだろうし、アスファルトは絶えず誰かに引き剥がされている。公園の木でさえも
いつ切り倒されるか分かったものではなくて、どこまで歩いていっても、永遠や悠久
の存在を信じさせ得るものが容易に見つけられない都会とはどういう所なのか。
夏は涼しく、冬は暖かく、スーパーマーケットには季節はずれの果物がさも得意げに
体を並べ、明るい夜に星空は必要とされず、太陽は高層ビルの隙間を遠慮しながら
渉っていく。もしかすると現代社会の不安の元凶は、この 「不易」 の不在にあった
のではないか。夏目漱石が倫敦で体験した閉塞感も、そうした不安に因るものでは
なかったか。

電線を失ったスズメでもしない動揺に背筋を震わせながら歩く。
月と太陽は今後一切隠れてはならぬ。