妻と待ち合わせているので、少し早めに退社。
千駄ヶ谷国立能楽堂へ行く。飲みに行かずに、能を観に行くわけである。
駅から徒歩2分。能楽堂の正門をくぐると、妻は庭先のベンチに腰掛けて
待っていた。とりあえず妻が持っていたお握りを1つ取り上げて食べる。
開演30分前。

本日の演目は、狂言語 『那須語』 と、能 『善知鳥』 である。
企画公演ということで、蝋燭の灯りだけが照明に使われるらしい。
当然、客席も暗くなるだろう。前回の宝生能楽堂の夜能よりも、はるかに
妖しげな演出が期待される。

『善知鳥』 は、これまた四番目物ということで、やや不本意ではあったが、
かねてから観てみたいと思っていた一番ではあるし、四番目物とはいえ、
謡曲集を読んだ限りでは、相当におどろおどろしい殺生ネタである。
しかもこれを、ロウソクの灯りだけで舞うというのであれば見逃せない。
妻が、「もしかして恐いの?」 と聞くので、もちろんだと答える。

オレたちの席は正面の最後方の右端だった。なかなか良い位置で、舞台の
様子がきれいに見渡せた。堂内には大きな肩掛けカバンを下げたマニアック
なオヤジや、ベレー帽を斜めにかぶったマニアックなオヤジなどの他にも、
和服姿の艶な女性や、行儀の良さそうな外国人の姿が目立ったし、
若い男女の姿も少なくなかった。要するに、宝生能楽堂の夜能のときとは
だいぶ雰囲気が違っている。
妻が、「本当に恐いの?」 と聞くので、もちろんだと答える。

開演までの少しの時間に売店などをのぞいてみる。
檜書店という能・狂言専門の書店が棚を出していて、書籍やDVDやCDを
売っており、そこに人だかりが集中している。一人の外国人女性がその前で
いろいろ質問しているのだが、店員のオジさんはきちんと英語で応対していた。
能と狂言の違いなども英語で説明している。なかなかやる。その外国人女性は
その場でDVDやら書籍やら、合計3万円ほども使っていた。

オレさまも触発されて、ドナルド・キーンの文庫本でも買おうかと思ったが、
文庫などいつでも買えると気づいて思いとどまる。かといって、他の本はみな
高価なものばかりである。檜書店は神田にあるそうなので、また別の機会に
行ってみることにする。せっかくだから、能楽堂自体の売り場にも目を通して、
560円のパンフレットだけは購入してみた。これは妻に授ける。

最初の演目は 『那須語』 である。
一人の狂言師が、ほとんど座ったままで喋るだけの狂言というものを初めて
観たが、有名な、那須与市が浜辺から船上の扇を射るエピソードが、
蝋燭の炎がチラチラ揺れる中央で、身振り手振りを交えながら語られるにつれ、
切羽詰まった与市の心情がじわじわとこちらの胸にも伝わってくる。
わずか15分の演目だったが、すっかり合戦の海に曳きこまれてしまった。

ここで20分の休憩。20分は長すぎるぞと胸中に不満を訴えながら、
妻と交代で館内をフラフラ歩いてみる。脇正面席からの舞台の見え方や、
中正面席からの見え方を研究し、さらにロビーを一巡して休憩時間の過ごし方
を研究する。ソファに座ってお握りを食べている人の姿が目についた。

やがて休憩時間が終わり、問題の 『善知鳥(うとう)』 が始まった。
善知鳥というのは鳥の名前で、生前にこの鳥を獲っていた猟師の亡霊が、
冥界での苦しみを訴える姿がこの能の主題となるのだが、とにかく善知鳥の
猟の仕方というのが凄まじい。

善知鳥は地面に巣をつくる。
親鳥は 「うとう」 と鳴き、子鳥は 「やすかた」 と鳴く習性がある。
どうでもよいことだが、この鳥はどのくらいの時期に声変わりするのだろうか。
まあ、いいか。
とにかくこの習性と親子の情愛を利用して、親鳥の 「ウトー!」 という鳴き声を
猟師が真似て叫ぶと、子鳥が 「ヤスカタ!」 と応えるので、その鳴き声を頼りに
子鳥を探し当て棒で叩き殺して獲るのである。そのとき親鳥は血の涙を流して
悲しむのだが、人がその血を浴びると死んでしまうので猟師は必ず笠と蓑を
着けて猟をする。うーむ。

「打とう!」
「易かた!」

うーむ。

猟師の亡霊は最初、老人の姿で現れる。
これが本当にヨボヨボ。揚幕に現れてから二の松(橋掛かり中央付近)に届くまで
10分はかかったに違いない。しかもそこで息を切らして立ち止まったりしている。
はて、シテ方寺井良雄という人は何歳かと思ったら、もう還暦を過ぎておられる。
老人が老人の演技をするのは、さぞかし難しいことだろうと思うが、
まったくもって老人である(意味不明)。

諸国一見の僧(ワキ)に対して、老人は外の浜に住んでいた猟師の霊の供養を頼む。
僧は外の浜に向かい、猟師の遺族に会って、亡き猟師の蓑傘をもって回向をする。
じきに猟師の亡霊が登場。蝋燭の灯りに照らされて立つ、亡霊に姿を変えたシテの
姿をじーと見ていたら、ディズニーランドのホーンテッドマンションに住む、
水晶玉のマダム・レオッタを思い出した。シテは全体に白っぽい装束を着ているの
だが、裾や袖の先が黒いため、暗闇では手足が透明になってみえる。まるで本物の
幽霊がそこで謡っているようだ。しかも面をつけているはずなのに、シテの喉や
首筋の筋肉の動きに応じて面の目や口までが動いているように見える。

善知鳥の舞は、シテ方が上手なのかもしれないが、全体にしなやかで切れが良く、
ははあ、こういうのが序・破・急というやつなのかもな、というものを感じること
ができた。しかしこれは、どう見ても還暦を過ぎた老体の動きではない。

亡霊は舞いながら、善知鳥の猟をする仕草をしてみせる。目に見えない子鳥達が、
何羽も棒で叩かれて殺されていく。士農工商の家にも生れず……又は琴碁書画を
たしなむ身ともならず……ただ明けても暮れても殺生をいとなみ……

  親は空にて血の涙を 降らせば濡れじと菅簑や 

最後には、
冥土で化鳥となった善知鳥に追いかけられ地獄の責め苦を受ける様を見せ、
どうか自分を助けてほしいと僧に弔いを頼みつつ亡霊は消え失せる。
何者も救われないままに終わるのだ。うーむ。

終演後、ため息を落としながら、妻と二人で能楽堂を後にする。なかなか疲れた。
帰りの電車がまた混んでいて辟易する。どこかで食事をして帰るつもりだったが、
午後9時を過ぎていたこともあり、協議の結果コンビニ弁当で済ませることに決定。

そういえば、呼子鳥(よぶこどり)というのは、「古今集」 秘伝の三鳥に数え
られていたはずだが、『善知鳥』 の中にも現れてくる歌、

  みちのくの 外が浜なる呼子鳥 鳴くなる声は うとふやすかた

これは藤原定家の作とされているが、彼が生きていたのは 「古今集」 の成立から
約300年をくだる西暦1200年前後である。彼が歌界のベートーベンであるとすれば、
モーツァルトにあたるべき西行法師も、

  子を思ふ 涙の雨の笠の上に かかるもわびし やすかたの鳥

と、呼子鳥と思われる鳥の歌を詠んでいる。「古今集」 の成立から300年の後に、
禁断のネタバレが行われたわけで、さらに250年後の室町ルネッサンスにこの能が
成立し得たのも、二人の歌聖が禁忌を犯してくれたおかげだったのである。

ちなみに、ウトウという鳥は実在する(チドリ目ウミスズメ科)らしいので、
このあたり、秘伝としてはややインパクト(……ああこれは禁句だったよ……)に
欠けるのだが、とはいえ本物の鳥が血の涙を流すとは到底思えないので、
それはそれ、これはこれ、ということで納得することにする。帰宅後、ネットで
ウトウを調べてみたら、1999年に北海道でウトウが大量死する事件があったらしい。
餌をとれないための衰弱死とする説もあるようだが、
正確には死因がわかっていないそうである。