今朝目が覚めてみたら、尼崎の脱線事故の死亡者数は90名に増えていた。
しかもまだ増えそうだという。オレさまも感応したようで朝からなんとなく息苦しい。

ゴールデンウィークの競馬ツアーの件、Y成君と集合時刻を決める。
今度も予想新聞を作る約束をしてしまった。的中率より回収率でお願いしますとかいうけれど、
オレさまは基本的に初心者向けに当てる喜びを知ってもらうために的中率を重視している。
まあ、当てる喜びを一番知りたいのはオレさま自身だったりするのだけれどな。

夕方、会社を早退して水道橋の宝生能楽堂へ行く。
会議を打ち捨ててまで能鑑賞に出かけるのだから、基本的には能天気なのである。
まあ、たしかに天気も良かったしな。
何を言っているのだかわからなくなってきた。

能楽堂という場所は初めてではないが、たいがい観たのは狂言ばかりで、
今日のような本格的な能観賞は初めてである。しかも、宝生能楽堂にはこれまでに
3度訪れたことがあるが、3度目にして初めて正面玄関の扉が開いているのを見た。

自由席ということもあり、初めてなりに良い印象を得たいという気負いからできれば
正面で見たいと考えていたので、開場時刻に間に合うように会社を出たのだが、
着いてみれば長閑なもので、座席はガラガラ、人の気配も疎らだった。
期待通りに正面中段の通路際の椅子に、パンフレットを置いて席を確保し、再びロビーに出る。
開演時刻までの間を、開演予告のチラシを漁ったり、売店を冷やかしたりして過ごす。

夜能に集まってくるのは、暇そうなおじさん達と、いかにも能を習い始めたばかりと思しきおばさん連中と、
笑顔で会話を交わす数組のカップルと、疎らに混じっている粋狂な白人観光客と、
そしてわずかに二名を数えた制服姿の女子高生だった。
開演時刻になっても、500人弱の収容量を持つ会場の半数くらいしか席が埋まらなかった。
その殆どが正面に集まっている。

戸惑ったのは、舞台が始まっても観客席の照明が暗くならないことだ。
舞台からも観客の顔がよく見えるに違いない。ちょっと気恥ずかしい感じでもある。
陰翳礼賛派の谷崎潤一郎でもいてくれたなら、照明を落とせと文句の一つも言ってくれたかも知れない。

最初の演目は 『盛久』 だった。
さてさて、岡部騎手の能面などあったものかと感心していたら、『盛久』 は直面だったことを思い出し、
良く似た人がいたものだとあらためて吃驚したわけである。 このシテの辰巳満次郎という人はなかなか声が良い。
丹後の国成相寺から鎌倉までの所謂 ”街道下り” の部分では、盛久はじめ左右のワキツレも
微動だにしないので少々面食らった。このときばかりは事前に謡曲集を読んでおいてよかったと思った。
あとどのくらいこの状態が続くのかを予測することができたからである。田子の浦うち出でて見れば真白なる、
雪の富士の嶺箱根山、猶明け行くや星月夜、はや鎌倉に着きにけり、はや鎌倉に着きにけり……こちらもくたびれた。

処刑の日を知らされ、経文を読み、地謡の声を背景に、盛久が少し眠ってふと目を覚ますところは
なかなかの演出だったと思う。自分まで夢を見たような錯覚をおぼえた。謡曲集を読んだだけでは想像
できなかった部分で、やはり実物を観なければイメージは捉え難いものである。
そういえば、盛久は平家の人だろうし弱弱しい感じの人物かと想像していたのだが、
実際に舞を観てからは、むしろ強い信念に従って他者をも圧倒する熱情家のように、
そのイメージが変わった。全体的にも男性的な力強さのある作品だったのではないかと思う。

一番が終わってすぐにトイレに立って、戻ってきたら狂言が始まっていた。
『雷』 という演目で、臆病な医師と腰を痛めた雷様との掛け合い。シンプルな構成で、
間合いの良さ、歯切れの良さにほっとする。ときおり笑い声もあがったりしたが、
オレさまのほうは興味津々で笑うヒマもなかった。

二人の狂言師が舞台を去ると、じきに笛の音がヒョウと鳴り 『百万』 が始まった。
先の 『盛久』 と比べて、囃子方は断然こちらが良い。
イョ〜、パン! オゥ、トン。イョ〜、オゥ、パン! オゥ、トントトト……。
反対に地謡はやや細くて聞きにくい。ボリュームをあげてくれ。

何よりも戦慄を覚えたのは、百万の登場場面だった。ただ単に橋がかりをそろ、そろ、
と渡ってくるだけなのだが、間狂言念仏踊りに合わせて、そろ、そろ、と舞台に近づいてくる姿が、
とてもこの世の、生きたものとは思われぬほどの妖しさを漂わせていた。

百万の舞い姿は、本当に女性なのではないかと見紛うほどに美しかったが、ときおりシテの低い声が
面の内から漏れ出てくると、なんだか美輪明弘が舞っているような感じがしてくる。
うーむ。
現代の若者が能楽観賞を避ける理由の一つがここにあるのではないか。

途中からいよいよ謡が聞き分けられなくなってしまって、仕方なく呆然と舞台を眺める。
一曲の屏風の前で、深深と椅子に腰掛けて頬杖をつき、一人で時間を過ごしているような気分だった。
睡魔に襲われたら眠っても良いのだと聞いていたので安心していたのだけれども、
眠くなる前にフツリと時計が止まるようにして終わった。
舞台から消えていく能楽師たち。華麗な詰め将棋でも見せられたような後味である。

18時開演で、終わった頃には21時近くになっていた。
今日観た能二番は、いずれも四番目物だったが、今度は修羅能(二番目物)か、
かつら物(三番目物)が観たい。宝生の夜能で演るのは四番目物ばかりかも知れないので、
六月の夜能の前に国立能楽堂あたりにも行ってみようと思う。

帰宅して、妻にどうだったかと聞かれたので、大鼓方の真似をしてみせたが、
あまり似ていないと揶揄されたので、風呂に入って寝る。