がんばって起きてみれば雪。妻はいつになく忙しそうに動き回っている。どうやら出かけるつもりらしい。急いで身支度をすべきなのはこちらの方なのだがと、慌てている理由を尋ねてみると、雪が降って道が危ないから駅までついてくるという。

窓から見ると外は大雪のようだが、しかし外気に身をさらして公道を覗いてみると、路面に雪が残るほどではないようだ。遅刻するからとも言えず、ただついてこなくても大丈夫とこちらの意向を伝えてみれば、とにかく歩くのが速い人にとっては凍った路面こそ危険なのだからと、こちらの事情を分かっているのかいないのか。

朝食も身支度もあわただしく済ませ、傘を開いて普段のように家を出る。司馬遼太郎の幕末小説のなかで、当時は重要な仕事をする人物はみな歩くのが速かったとかいうような文章に触れて以来、あやかりたい気分のときには早歩きになる。たとえばそれは朝の通勤時だったりする。妻は傘を持たずに、エスキモーの子供が着るようなフード付きジャケットに身を隠しながら小走りでついてきた。”喜び庭駆け回る犬” というやつである。

電線からつぎつぎと落ちてくる雪の欠片が、黒いアスファルトの上に白く細長い爪跡を残していく。いま雲の上では激しい合戦が繰り広げられており、幾千万本もの日本刀の刃先が折れては片端から地上に降ってきているのだ。死にたくなければ急げよと、言葉ではなく行動で示す。右手に見える公園の広場への未練をこぼしながらも、妻は息を弾ませついてくる。

そのうちにカバンを持たせてくれというので、重いよと警告しながら渡してやると、それを両手で抱えながら今度は元気よく前に出る。槍持ちと露払いを一挙に得たようなものである。織田信長風に ”サルッ!” とでも呼んでやりたい気分であるが、100m程度でカバンは持ち主に返された。どうやらカバンが濡れていることに気がついたらしい。

イヌ、サルと続いたので次はキジの登場を期待したのだが、ようやく駅に着いてみたら、妻は手を振ってさっさといなくなってしまった。仕方が無いので記事にしてみる。桃の咲く時節が待ち遠しい。