昼過ぎまでパソコン。トレモロは無事に新馬勝ち。妻が昼寝をしているうちにジョギング。帰ってきてもまだ妻は寝ているので、30時間も費やしてきたFFXの続きをやる。マカラーニャの森の野営地までをロード。噂に聞いた名場面。いきなり劇画調に豹変するなティーダ。ルールーのことはどうするつもりか。それよりもユウナはいつからティーダに特別な感情を示すようになったのか。もしかして、たった今か。ああムードに流されたか。とつぜんの大雨。眠っていた妻が跳ね起きて、何か叫びながら家じゅうを駆け回って雨戸を残らず締めていく。最後にまた居間に戻ってきて、貴様何をしておるかさっさと雨戸を締めんか、と大声で叱られる。うーむ。とりあえずナギ平原まで進み、ルールーに気の済むまでサンダガを落とさせてやりながら、召喚勝負を済ませたりチョコボを確保したりしてからセーブ。そのうちに雨は止んだ。雨が止んだので妻と散歩に出かける。

「何を与えるかは神様の問題でありどう生きるかは人間の問題である」

このブログのプロフィールに書き添えたこの言葉を、自分はどこから引用したのか、あるいは自分自身で思いついたものだったのか、まるきり思い出せずにいたのだが、ふと近所の書店で、ちくま学芸文庫から復刊されたばかりの 『新釈 現代文』 をパラパラと立ち読みしてみたら、なかの例題文のうちに偶然にその一節を発見した。表現は若干異なるようだが間違いない。不思議な再会である。できればこの文章の出典まで確認できれば良かったのだが、なにしろ古い著書なので出題文のなかには出典が明らかでない文章もあるという断り書きを見つけるに止まるばかりだった。まあ、いいか。せっかくなので購入。それにしても、こういう言葉にしがみつくこと自体が格差を認める卑屈な態度なのではないかと今さら思えてきたり。まあ、いいか。そのまま居酒屋で飲む。