温暖化とはいえ、近頃はさすがにそれなりに寒くなってきた。夢見がちな少年の頃、カフカの 『変身』 を読んでいたオレさまに 「ミズコール・サムサだな」 と水を差してきたSF研の先輩は、今頃どうしているだろうか。どの季節が一番好きかという日本人に許される贅沢な悩みの一つにいつも頭を悩ませている自分であるが、若い頃には「冬」が好きで、イベントなら正月とクリスマスに情熱を注ぎ、素敵なカレンダーなら12月と1月だけは大切に保管し、ヴィバルディの協奏曲 『四季』 なら「冬」を繰り返し聴き、『枕草子』でも 「冬はつとめて……」 ばかりを暗記し、真冬でも学生服の中には半袖Tシャツ1枚着ただけで涼しい顔などしていられるほどクールな日々を送っていたわけだが、積年の不摂生が祟っているのか、経年劣化か、あるいは不本意に ”変身” させられたのか、近頃ではとりわけ冬に体調を崩して、両手両足がオオアリクイでも括りつけたように重く感じられたりする。
そんな感じで体調不良のまま、夜はユーザーとの懇親会に出席。裏表のない人生を送るなど実際には不可能なわけで、自分も技術者としてユーザーに対峙しているときは、相手が老若男女にかかわらず、やはりファーストフードの店員並みに杓子定規な物言いをしていることは自覚している。そのことにつくづく嫌気が差してきているので、今日もできるだけ大人しくしていようと心に決めていたのだが、どうにも喋りたい性質のようで、気が着けば出された食事にもロクに手をつけずに、大して面識のない相手にまで「業務モデルが」とか「処理効率が」とかあることないこと語り始めては話題をころころ変えたりしていたわけだが、自他共に麺喰いということもあって、寄せ鍋が終わったところにうどん玉が放り込まれてからは、そぞろ神の物につきて取るもの手につかず、立て続けに三人が急にすすり出せば、のこりの分量まづ心にかかりて、頃合いをみて手元に自分の分を取り置いておく。ところが、うどんと懇親会の進行との折り合いがつかず、誰かが衆に向かって語り始めたり、誰かに話しかけられたり、なかなかうどんに箸をつけるチャンスがない。そのうちに、閉会の挨拶が始まって、皆立ち上がって一本締めまで終わってしまって、さっさと帰り始める人々の中に独り座り込んでうどんをすするわけにもいかず、しかしどうしてもうどんのそばを離れられず。うどんでもそばでも離れられず。うどんのほうを見ないようにしながら、しばらくじっとうどんのことを考えていたら、自然にその場で二次会が始まったので、自分も座り直してどうにか違和感無くうどんを口にすることができた。冷めていても美味しかった。