今日こそは練馬美術館に行こうと思っていたのに、なぜか上野の国立西洋美術館へ 『パルマ展』 を観に行く。
こちらは本日が開催最終日であり、かつまた夏休み最後の日曜日でもあるわけで、狭いところに老若男女が袖擦りあうも他生の縁でルネサンスだのバロックだのというのでは何だか暑苦しいので、「気がすすまない」 と何度も言ったのだが、すでに同展覧会を数日前の平日の静かな時間に鑑賞し終えてしまった妻は、彼女なりの用事が他にあってどうしても上野に行きたいという本音はギリギリまで隠匿しつつ、とても素晴らしいから是非ご覧になって、とかマリーアントワネットみたいにしつこく鑑賞を薦めてくるので、渋々彼女の計画に従う運びとなったわけである。まあ、いいか。

上野駅まで移動してそこからしばし妻とは別行動。美術館のチケット売り場の思ったよりも短い行列の後ろに並び、窓口で年齢を告げるだけで無料でチケットを受取っている隣の中学生の行く末を羨望の眼差しで見送りながら千四百円でチケットを購入し、大混雑というほどではないけれども混んでいると英訳しつつ胸中でつぶやきながら、入場してすぐに目に入るフランチェスコ・ガザネッリとかいう読みにくい名前の画家の描いた二枚の肖像画のその背景の目映いばかりの ”黒” に見惚れてしまえばもはや他人の姿など目に入る余地などなくなる。

時トウ書の彩色写本とか、誰かの素描帳とか、コレッジョとかパルミジャニーノとか、短時間で好き嫌いをはっきりさせながら決断力の訓練を積み重ねていく。好き嫌いというのはあまりはっきりさせてしまいたくないのだが、例えば、聖ルチアが眼球を乗せた皿など掲げて微笑む姿を描いた絵の前では、いったい人間の本性とは善なのか悪なのか、感性とは美なのか醜なのか、求めるものは真実なのか偽りなのか、しばらく足を止めて考えざるを得なかった。とりあえず、眼病を癒すという彼女であるから、その静止画像に向かって僕の飛蚊症を治してくださいと心の中でお祈りしてみたり。だからこの絵を好きにならなければならないと自分に言い聞かせたり。

さて、ここん家のルクレティアはクラナッハが描いた彼女とはだいぶ違ってずいぶん貞淑そうだと感心したり、サドの 『ジュスティーヌ』 とはつまり聖ユスティナのことであるかと想像を巡らせてみたり、あらためて澁澤龍彦に感化されていた自分を再発見しつつ、素描の間を通り抜けて、パルマの古地図とピアチェンツァの古地図。ちょっとこれ、コピーとってくれる両面で? と係りの人に相談している自分の姿を想像しながら、出口の売店にこの絵葉書があったら買おうと心に誓って通り過ぎる。ファルネーゼ家の甲冑の繊細な装飾は、絵画だろうが実物だろうが見逃せない。花とかアカンサスとかレースとか細部にわたるまでそのデザインを眼球でスキャンする。それにしてもこんなに重そうで不自由そうな甲冑をつけるくらいなら、最初から他者と争わなければ良いのである。一体どんな理屈が自分の頭の中を駆け巡ったのか、甲冑を着けて殺し合う姿が何だかひどく醜いものに思われてきたり。どうせ殺しあうのなら互いに素手で殺しあえば良いのだと憤ったり。つまり生き残るとは他者を出し抜くことかと諦めたり。

アレッサンドロ・ファルネーゼを抱擁する女神アテナの扮装で擬人化されたパロマ。その彼女の胴体にあてられた硬いのか柔らかいのか分からない ”腹部を象った甲冑” の艶かしさに見惚れる。何故、胴鎧に臍の細工が必要なのか不思議。これに匹敵するものがあるとしたら、コレッジョの神話画しかないだろう。誰か持ってきてみせて2、3枚。

あくまで趣味の問題であるが、パルミジャニーノは彩色したものよりも素描のほうが断然良いように思うし、その一方で、スケドーニの描くものならば素描よりも彩色された画面のほうが好ましく感じられるのは自然の成り行きなわけで、”今日の一枚” をあえて選ぶならスケドーニの 『キリストの墓の前のマリアたち』 としようと胸に秘めながら出口へ。お土産に絵葉書を、その ”今日の一枚”を含め4枚ほど買って美術館を出る。残念ながらパルマの古地図はなかった。

ちょうど見込んだとおりの時刻で妻との待ち合わせ場所に赴く。ほらね。時計とか、携帯電話とか、べつに要らない。昼食が未だだったので、妻の提案に従って東京文化会館内の 『響』 で冷製スパゲティを食べる。例えばここに日時計があるとして、同じ太陽の下、同じ場所、同じ時刻に、同じ日時計を前にしていても、日時計の使い方を知っている人と知らない人とでは、その日時計を置く向きが異なってしまうだろうし、世界の在り方も大きく違って見えてしまうのだというようなことを話す。お金で買えるものばかりを揃えてみても、ただそれだけでは必ずしも満たされるとは限らない。だから厄介なのである。しかしとりあえずサンドイッチを追加注文しよう。

そのまま少し上野を散歩しようかと話し合ってみたが、本屋にも行きたいので池袋まで戻ることにする。池袋のジュンク堂へ行ってみると、綾辻行人のサイン会をやっていた。ミステリーが苦手な自分にとっては、あまり大騒ぎする話ではないのだが、竹宮恵子の 『イズァローン伝説』 を買おうと地階のコミック売り場まで降りたら、そこまで綾辻行人ファンの長い行列が横たわっていたのにやや吃驚したという話。欲しい物は書棚に見つからず、しばらく上の階へ揚がってコンピュータ関連の参考書など漁る。帰宅後、O田女史に借りた 『風の海 迷宮の岸』 とりあえず上巻だけ読む。面白い。