すぐに出かけるつもりだったが、NHKの認知症に関する番組を何気なく眺めていたら目が離せなくなった。思いがけなく興味深い内容。朧気ながら認知症の本質のようなものが判ったような気がしてくる。人間は素晴らしいメカニズムを内臓しているのかも知れない。本人も、家族も、いや世界中が、その神秘に身をゆだねることでも良いのではないかと思ったり。
妻との約束なので東村山の八国山に行ってみる。映画 『となりのトトロ』 で ”七国山病院” というのが出てくるが、そのモデルとされたこの土地は、実際は八国山という名前で、確かに付近にはちゃんと大きな病院もある。
東村山の駅で降りて、とりあえず 『MARU』 でカレーライスを食べようと思ったのだがまだ開店時刻には間があるようだ。仕方ないので戻ってきてからカレーを食べることにして、空腹のまま先に八国山へと向かう。何でも報酬が用意されているほうが仕事は捗るものだからな。場所がよくわからないので、近くのコンビニで聞いてみたら、レジでお金を払おうとしている客の一人が親切に説明してくれた。このあたりがローカル。要するに北山公園のあたりから踏み切りを超えた向こう側なのである。北山公園なら何度か行った事がある。お礼を述べながら店でチョコレートを買い、正福寺を経由して、北山公園を抜け、さくさくと八国山に接近し斜面を登りはじめる。小さな山なのである。まだ枯れ木ばかりだが、桜もいくらかあるようで花見には良いかも知れない。しかし枯れ木以外には見るべきものもなく、天気は良いのに人の気配も少なくてやや拍子抜けの感もあるが、右側に病院の屋根など見下ろしつつ、北山公園付近から将軍塚までの尾根道をのんびりと歩きながら、認知症の意味について夫婦で話し合ったりする。

新田義貞ゆかりの将軍塚をやり過ごして、八国山の端まで歩いて降りたのち、住宅街を抜けて、途中で郷土資料館に寄ってトイレを借りたりしつつ東村山駅まで戻る。もう一度 『MARU』 に行ってみたら、午後1時をとうに過ぎているというのにまだ閉まっている。どうやら休みらしいという事実をいよいよ受け入れねばなるまい。仕方なく所沢駅まで戻り、駅周辺をうろうろした挙句、西武百貨店のレストラン街の蕎麦屋に入る。自分は蕎麦が大好きなのだが、2回に1回はカレー南蛮蕎麦を食べる。今日もそうする。恐らく本当の蕎麦好きは、カレー南蛮など食べないのではないかと思う。香りは封じ込められるし、すぐ伸びてしまうようだし、カレーが絡まってソバ食特有の軽快な食感が失われるし、要するに蕎麦通の目からみればカレー南蛮など邪道に映るに違いないと思うのだが、それでも自分は、もりそばを愛するのと同じくらいに、カレー南蛮をソバで食べるのがこの上もなく好きなのである。こもまた倒錯の世界なのだろうか。

帰りの途中にレンタルショップに寄ってCDを6枚借りる。ジャズ、フォルクローレ能楽、端唄、園まり、妻の瞑想用の何か。ようやく自宅に帰ってきて、図書館から借りてあった 『新・座頭市物語』 のビデオを再生して観る。座頭市シリーズの第3作目。今回は座頭市の心の脆さが浮き彫りにされる。なかなかに凄まじい。人を斬りながら何度も悲しそうに顔をゆがめる座頭市。順序が逆かも知れないが 『ゴリラーマン』 を思い出したり。台詞もところどころ味わい深い。意趣返しに斬りかかってくる集団に対し、一人二人と薙ぎ払ってから 「風を斬ったんだ。あんた方も風をおこしなさるか」 と吼えてみたり。偶然再会した幼馴染と、静かに酒を酌み交わしながら、過去を振り返ってみたり……

盲のくせに目あき野郎のハナをあかしてやりてえばっかりに、ま、刀の抜きかた、人の斬りかた、ンなことに憂き身をやつしてヤクザの仲間にへえっちまったんだが、いまじゃそいつがアダさ。なまじっかガラにねえ真似おぼえちまったからな、斬っちゃならねえ人を斬っちまったり、殺っちゃならねえ人を殺ったり、この頃はあっちこっちの恨みが募っちまって、ハハ、危ねえ身体なんだ。でも、つくづく悔やみに思うときがあるよ……

斬っちゃならねえ人を斬っちまったり……というあたり、血気盛んだった頃の市の荒みようが目に浮かぶようだ。その他にも、居合いの師の妹と一緒に、月のほうを見上げたり、手を引かれて竹林を歩いたり、そうした場面では胸に染みる台詞が軒先の雨垂れのようにぽつりぽつりと出てくる。しかし座頭市はまだ、修羅街道の入り口に立ったばかりなのだった。ううーむ。
勝新太郎が本格的な演技派役者であることはこの作品を観ればよくわかる。第2作と違って太刀筋も鋭いのは、あるいは監督の好みの問題なのかも知れない。第2作目ではズサと斬るが、第3作目ではスパと斬る感じ。あくまでもケンカであるべきなのか、それとも斬り合いという名の芸術であるべきなのか、そういうところのこだわりの違いなのかも知れない。それにしてもこれは力作。それにしても坪内ミキ子はいまと変わらない美しさ。