さらに書棚から文庫や新書を出して空気にあてる。だんだん、家全体が古本屋みたいになってきた。昨日のうちに室内に取り込んでおいたマンガを納戸の本棚にしまいながらまだしまいきっていないのにしまったと思う。たわんでいる。どの本もみな撓んでいるではないか。これでは古書店に売ることができないではないかと、ややうろたえながらもまた、べつに売る気も無いことを胸のうちで確認していたりする。いま干している文庫も新書も、書き込みや折り曲げが酷いので古書店に売ることなど適わぬものばかりである。

古書店といえば、ずいぶん前に古書店で買った繁野天来訳のミルトン 『失楽園』 を本棚の奥から発掘した。文語調が気に入って買ったのだけれども、劣化が激しくて持ち歩けないため、拾い読みしかしていない。ていうか岩波文庫の平井訳があるので、平井読みしかしていない。というわけで、読み比べてみたりする。

”ああ、あの警告の声が今叫ばれないものか! 黙示を見たヨハネが、悪竜が再敗を喫して人間に復讐を加えようとして怒り狂って地上に舞い下ったとき、天上で声高らかに叫ばれるのを聞いたあの「禍害なるかな、地に住めるもの」という声が! もしあの声が叫ばれていたなら、まだ時間がある間に、我々の最初の祖先が密かな敵の襲来について知らされ、彼の仕掛ける致命的な陥穽から脱れることが、そうだ、もしかしたら脱れることが、できたかもしれないからだ!” (平井正穂訳:ミルトン『失楽園』第四巻冒頭)

”望ましき哉戒めの声、これぞ天啓(さとし)を見し聖者(ひじり)の、かの悪龍が第二の敗北(やぶれ)に逢ひ、怨みを人間(ひと)に晴らすべく、怒りて下界に下る時、『災なる哉地に住む者』と天上にて高く叫ぶを聞きし声にて、そを臨むは、今し時を外さず我らの始祖(とほつおや)が秘密の敵の来るを告げられ、命の穿(おとしあな)を脱れ、否(さらず)、或はかくて脱れ得たらむにと思へばぞ!” (繁野天来訳:ミルトン『失楽園』第四巻冒頭)

内容を知るには読みやすいほうが有り難いけれども、失楽園のような作品の場合は、やはり文語体で読むことで神話としての格式がぐっと高まるような気がする。ちなみに原文はたぶん以下の部分だと思う。

”O For that warning voice, which he who saw Th' Apocalyps, heard cry in Heaven aloud, Then when the Dragon, put to second rout, Came furious down to be reveng'd on men, Wo to the inhabitants on earth! that now, While time was, our first Parents had bin warnd The coming of thir secret foe, and scap had Haply so scap had his mortal snare;”

とても読める気がしない。

風邪を引いていた妻がだいぶ回復した気がするというので散歩に連れて行く。喫茶店で抹茶オレなど飲みながら来年の目標などあれこれ思案していると、妻が 「百人一首を覚えようと思うがどうか」 とか百年前から変わらぬ駅前の小鳥屋の九官鳥も丸暗記して5年は過ぎてしまったはずの抱負をまた口にしやがるので、それは良いことだオレなどはもう全部暗記している、とコメントしてやると、それはもう大層吃驚していた。もちろん全部というのは嘘で、暗記しているのはせいぜい20首くらいである。20対80の法則で説明できるかも知れないと思ったのだが、むしろこの好機を逃さずに自分も暗記すべき、しかも一刻も早く暗記してしまうべきと悟ったので背水の陣を敷いてみる。

茶店を出た後、ちょっと書店に寄ろうと提案し、本屋の隅の書棚に隠れて角川文庫の 『百人一首』 を立ち読み(ていうかしゃがみ読み)する。とりあえずここでいくつか覚えてしまおう。有明のつれなくみえしわかれより暁ばかりうきものはなし。有明のつれなく……うーむ。全然頭に入ってこない。妻が本屋に飽きて、仕方なくスーパーマーケットに移動する間も、刺身の値札を眺めているあいだも、ありあけの……と暗誦を繰り返す。結局、1つ覚えるのに1時間もかかったが、あきらめずに全百首隅々まで隈なく暗記してしまわなければならない。買い物ついでに、スーパーの帰りに文具店に寄らせてもらい、ありあけの……と暗誦を繰り返しつつ墨と硯と筆と下敷きと半紙を購入。計二千円也。

壬生忠岑のおかげで疲労困憊気味の帰宅。やや茹で過ぎの年越し蕎麦を軽くすすった後、惣菜パンに齧りつきながら、自宅の書棚から百人一首の本を取り出して黙々と読みはじめる。目標ができて嬉しいのである。立ち別れいなばの山の峰におふる松とし聞かばいま帰りこむ。立ち別れイナバウアーの身に折れるマットを敷かばいま返りこむ。夜が更ける頃まで約三十首をノートに書き写して過ごし、気がつけば炬燵布団の中で夢と現実の境を行き来していたものがふと鐘の音を遠くに聞く。曇りなき眼で置き時計を見きわめれば23時30分、いよいよこのままではいけないと気づき、がばと撥ね起きてとにかく風呂に入る。カラスでももう少し長湯だろうにと反省しつつさて風呂から出てきてみると、妻はもう眠そうで機嫌が悪い。襖を開けるな寒いとか、使わない部屋の電気は消せとか、風呂の換気扇回したかとか、地球の誕生から現在までを2006年に喩えると人類がやっと誕生したあたりでの夫婦喧嘩。誰がために鐘は鳴る