定時で退社して、高階秀爾里中満智子との対談を聴きに行く。対談の題材は 『万葉集』 だったのだが、そこから日本人の美意識を探っていくようなことを目的としていた。例えば万葉集では天皇の歌も乞食の歌も同じように扱われており、身分や階級ではなく作品の持つ力だけを評価して作品集が編まれていることから、日本人にとっての 「美」 は公平公正なものであったことが分かるとか、その一方で、美しいものは残そうとしてきたが、日常生活的なもの(トイレの構造や下着の意匠など)については遺跡や資料が非常に少なく、『天上の虹』 を描く上で非常に難儀したという里中満智子経験談には、「美」 というものの役割について再考を促されたような気がした。そのことは宿題として。

どの世界のどの地域も同じように長い年輪を重ねてきているが、歴史とは即ち 「記録」 なわけで、近隣アジア諸国に比べても日本の歴史が比較的古くまで遡れているという事実は、あるいは外的に蹂躙される心配の少ない海洋国家であったこともその一助にはなったかも知れないが、なによりも日本人が記録魔であることに依るところが大きいのではないか。江戸時代には識字率が世界でもトップクラスだったようだと聞くし、中華文明の影響を受けた文化圏のなかで未だに漢字を使うことができているのは中国以外では日本だけだとも言われるようだし、そんな風説も日本人が 「記録して伝えること」 に特別に関心を配る民族であることを認識するために有効な材料として数えられるだろう。

こうして千三百年前の歌集に触れて、普通にその内容が理解できることも日本語 (つまり日本文化) の特異な点で、そのことは日本人が世界の中にあってこれからも意識していくべきことなのだろうと思う。

というわけで、自分は万葉集をそれほどしっかり読んでいるわけではないが、好きな歌を一首挙げておく。

 家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る (有間皇子

万葉のなかでも比較的有名な一首であるが、唖然とさせられる歌である。本人としてはいろいろ思うところがあったのだろうが、旅の途中で 「歌を詠みます」 と呼び集められて、いきなりこの三十一文字を聞かされては、たとえ皇子が罪人として連行されゆく立場だと知る者でも 「金返せ」 と訴えたくなる。でもその素朴さが好ましい。そこで、一千三百年を経てオレさまの返歌。

 天気なら革靴はいて出る朝を土砂降りなのでゴム長をはく (オレさま)