少し残業して帰宅後、冷やし中華をすすりながら、妻がもう3回くらい観たから他のにしろとかいうのを遮って、妻に録画を頼んでおいた 『結婚できない男』 を再生して観る。オレさまはまだ観ていないのである。

この主人公は、いろいろな場面で、他人にため息をつかせる。気が利かないとか、婉曲表現ができないとか、内向的だとか、そういうことで、彼の特徴を際立たせようと製作者は努力しているつもりらしいが、こんなものどんな男性にも昔から見られるありふれた悪いクセではないかと思う。

むしろ主人公は、仕事においては確固とした美学のもと妥協せず、バブル世代特有の変な空騒ぎムードを引き摺っていない分だけ崇高な存在であるとさえいえる。一緒に飲んでゆっくり話を聞いてみたい、とても好ましいタイプではないか。面白いし。ていうか、阿部寛なら何でも良いのか、オレは?

とにかく相手役の女医もそうした彼の本質はしっかり見抜くことができるタイプのようである。しかも、価値観や習慣の違いを認め、一時的な不快感や、その場における不適切な表現だけで、彼との関係を永久に断絶させてしまうようなことはしない。結婚するとかしないとか、そのことはあまり重要ではなさそうである。あれれ、そういうドラマなのか。

寝る前に、出走予定を調べる。また牛君(アトラクティヴ号のこと)が走るらしい。勝つとか負けるとかトンカツとか揚げるとか、そのことはあまり重要ではない。