小学校の友達に木村という男の子がいた。いつも鼻水をたらしていた。
冬場には長袖のシャツや上着を身につけていたから、あたりまえのように袖口が
光っていた。妹も汚かった。けれども二人とも器量が良くて、可愛らしく光る眼を
キョロキョロさせていた。妹もボサボサの髪がむしろ可愛かった。

私鉄の線路脇に町工場があって、その隣に建つトタン屋根の平屋に父親と3人で
住んでいた。父親は右手の指が1本しか無かった。他の指は旋盤で切ったそうだ。
いかがわしいおじさんだったが、比較的に優しかった。愛想がいいわけでもない、
冗談を言うわけでもない、子供など相手にしないタイプの人だった。

オレたちの遊び場は、小さな町工場の屋根の上と、小さな産婦人科の玄関先だった。
町工場にはいつもだれもいなかったし、産婦人科はいつも休みだった。オレたちの
遊び場はすっかり死んでいた。死の中にあって、美しい場所だと信じていた。
ときどき木村の家の中でも遊んだ。湿った布団のなかで抱き合ったり、ビー玉や、
ビー玉や、ビー玉などをして遊んだ。プラレールみたいな文明の利器はなかった。

ある日、オレさまは母親に連れられて図書館に1年ぶりに本を返しに行った。
司書の人にしこたま叱られたその帰り道で、ふらふら歩いている木村に遇った。
木村は手に持っていた何かを、オレさまの手に持たせてくれた。卵をいっぱい背に
乗せたコオイムシだった。それはそれは、とても珍しい、貴重なシロモノだ。
小学校の校庭にある池で、偶然見つけたのだと木村は言った。

木村の思い出はそれで全部だ。いまでも、ときどき思い出すたびに胸が熱くなる
ほどに懐かしい。あれから数十年を経た今、あのとき木村はオレさまにではなく、
オレさまの母にコオイムシをくれたのではなかったかと思うことがある。
コオイムシはすぐに死んでしまったし、もちろん卵も一緒に死んだ。